乳流るる里をめざして
―酪農を中核とした里づくり―
広島市農業協同組合 砂谷酪農部会

 「自分たちの搾った牛乳を新鮮なまま、地域の皆さんに届けたいという思いから、すべてが始まっています」というのは、広島市農業協同組合砂谷(さごたに)酪農部会の久保峰夫総務部長。
 同酪農部会は砂谷酪農の先駆者である久保政夫氏の酪農哲学を継承、地域資源に立脚した草地型酪農を実践し、無理をしない堅実型の家族経営が基盤となっている。
 そして、部会員が強い団結で結びついたさまざまな取り組みが地域の信頼のブランド「砂谷牛乳」につながっている。

 同酪農部会のある広島県湯来町は県の西部、広島市の西北部に位置し、気候は内陸型で、寒暖の差がやや大きい地域である。同部会は広域合併した広島市農協の一角で古くから活動しており、湯来町砂谷地区において酪農を営む6戸(平均成雌牛飼養頭数33頭)で構成されている。

 昭和16年、久保政夫氏が故郷に「乳の流るる里」を夢みて酪農をはじめることになったのは、自身が大正初期に文学を志して上京したことに遡る。
 体調を崩してしまった時に口にした牛乳に感銘を受け、健康になって酪農家への転身することを決意する。その後、縁あって伊豆七島の八丈島において酪農を始めたが、故郷に残っていた末妹の死をきっかけに帰郷。この砂谷の地で酪農を始めることとなる。

 久保氏は「酪農とは草を乳に換える農業である」と唱え、この考えに賛同する周辺の農民に役牛を乳牛に替えるように勧め、地域に酪農を芽生えさせる。戦争が激しさを増す昭和19年には、地域の68戸で砂谷酪農組合を結成。
 昭和25年には牛乳処理施設「広島ミルクプラント」を建設し、当時では画期的であった、生産から直販までを自分たちで行うという体制を築く。この精神を現在も受け継いでいるのが同部会である。

 久保氏の酪農哲学である「牛乳づくりは草づくりから」、「草から乳を搾る」という考えのもと、これまで粗飼料を確保することに努めてきた。
 しかし、同地域は山間部に位置するため、耕地が狭く、大型機械も入らないことから大変な重労働を強いられていた。

 このため、昭和59年には湯来地区農業公社牧場設置事業によって、湯来町の阿弥陀山の山麓を開発し古塚牧場共同利用草地を整備。その管理には古塚牧場共同組合を設置し、部会員の共同作業により草地を維持・運営している。
 その結果、「牧草の生産コストは1s当たり約5円と低コストとなり粗飼料が安定的にできるだけでなく、家畜排せつ物の還元にもつながった。共同作業をすることにより部会員の同士の結束も一層強まり、コミュニケーションも図られることから、同じ仲間が切磋琢磨する好機ともなっている」(久保峰夫総務部長)。 

 また、同部会とともに活動の中心と成すのが「砂谷牛乳」を生産する砂谷株式会社である。組織形態は株式会社ではあるが、そこに出荷している部会員は自ら作り上げた会社であるという自負があるそうだ。
 「安心して飲めるおいしい牛乳を消費者に提供する」という理念のもとに生産が行われている。つまり「砂谷牛乳」は生産者の酪農哲学が結実したものでもある。

 なお、この牛乳は「地域の子どもたちに飲んでもらいたい」との思いから、部会員が1本6円を負担して湯来町の学校給食に牛乳を供給する活動も行っている。
 平成10年からは毎年10月に「おいしい牛乳フェスティバル」と題した地域の消費者との交流イベントを会社と共催するなど、地域の酪農への理解にも積極的に活動している。


 このような取り組みが評価されて、平成14年度畜産大賞の地域振興部門で優秀賞を受賞している優良事例だが、今後の計画としては、より消費者に親しんでもらえるように新しい商品開発を計画中。
 後継者も着実に育ちつつあるとのことで、今後の展開がますます楽しみな酪農部会である。


畜産コンサルタント4月号  2003